
○ 8月1日:喫茶店「Sky」前 大吾「久しぶりだな、ここも……」 ギラギラと照りつける太陽のもと、俺は顔に流れる汗を拭いながら目の前にある 建物を眺めていた。 大吾「瑞樹さんに会うのは5年ぶりくらいだったよな。ええっと、苗字は浅野だった はず……」 俺は自分に確認をさせるように、独り言を呟いていた。 目の前にある喫茶店「Sky」は、住宅街の中にポツンと建てられているごく ありふれた喫茶店である。 この店では、来店してくれる客に美味しいコーヒーと心地よい空間を提供するのが 目的ですと言いたそうな、控えめでこじんまりとした雰囲気だった。 その雰囲気は、俺の知るこの店の経営者の性格と同じだった。 儲ける事が目的では無く、自分達の生活と店の維持さえできればそれで満足なのだ。 来る客も、きっと常連が主な客層だろう。 中には、経営者と楽しいおしゃべりがしたいからという目的で、ちょくちょく来店 するような客もいるかもしれない。 この店の経営者は、俺の5歳上の従姉である。 名前は、浅野瑞樹(あさの・みずき)。 旧名は俺と同じ、永野(ながの)である。 俺にとっては良き姉で、小さい頃は「瑞樹ねーちゃん」と呼んで慕っていた。 住んでいた家も近かったので、瑞樹さんが中学生になるまでは彼女にくっついて 一緒に行動していた記憶が今も残っている。 大吾「ちょっと緊張するな……」 俺は中に入るのを少しためらっていた。 実は瑞樹さんには何の連絡もせず、ここに来たからにある。 窓ガラスから中を覗いてみるが、この位置からでは人の有無は確認できなかった。 大吾「でも、親戚が近くに住んでて幸運だったな。そうでなかったら、今ごろは野宿か 実家でこき使われるか……そのどちらかだろうからな」 今現在、俺には寝泊りする場所が無い。 本来なら、大学の寮で暮らしているはずだったのだが、訳あってその寮を追い 出されてしまったのだ。 その期間は永続ではなくてほんの1ヶ月間だから、きっと瑞樹さんも俺の滞在を 認めてくれると思う。 瑞樹さんにとっては俺は弟みたいな物だし、押しかけていって断られる事はまず ありえない。 それに彼女は1人で喫茶店を切り盛りしていて、俺のような男手があれば何かと 助かるに違いないのだ。 そして俺は野宿しなくて住む。 これはまさしく、瑞樹さんと俺のいい所尽くしの一石二鳥のはず(←自己中心的な 発想)。 大吾「よし、入ってみるか。いざ尋常に、オープン・ザ・ドアー…」 ちりーんと鳴るドアの鳴子を聴きながら、俺は店の中へと入っていった。 ○ 8月1日:喫茶店「Sky」店内 大吾「こんにちはー。瑞樹さん、いるー?」 辺りを見回して瑞樹さんの姿を探すが、店内には彼女の姿はいないようだった。 大吾「いないのか…」 いるとするなら、今目の前にいる女の子が1人だけだった。 女の子「……」 この子、バイトか何かかな。 大吾「あの、浅野瑞樹さんっています? 俺、瑞樹さんの従弟の永野大吾って言うん だけど」 女の子「……」 女の子は俺を見て震えているようだった。 大吾「?」 女の子「お、おかっ……」 何かを言いかけていたが、女の子は脱兎の如く逃げ出してしまった。 大吾「あ、ちょっと」 女の子は、カウンターに隠れてしまった。 大吾「……」 参ったな。 もしかして、俺を犯罪者か何かと勘違いしたのだろうか。 他に人がいない事を考えると、女の子はこの店の関係者だと思われる。 瑞樹さんの事を訊くには、俺に対する誤解を解かないといけないのかもしれない。 大吾「あの、いいかなぁ」 俺はそう言いながら、女の子のいる所まで近づいていく。 カウンターの陰に隠れていた女の子は、頭を抱え身体を震わせていた。 目をぎゅっとつぶり、周りの景色を見ないようにしていた。 その怖がりようは尋常では無い 女の子「……」 ここまで拒絶されると、何か傷つくな。 俺は、震える女の子の身体をちょいちょいと突付いてみた。 大吾「俺、怪しい者では無いんだけど」 女の子「ひっ…!」 女の子は小さく叫ぶと、目をかっと開いて上を見あげた。 その視線の先には、俺の姿がある。 女の子「……」 大吾「やっ」 女の子「うっ、うぇっ…」 大吾「げっ…」 女の子は涙を浮かべると、小さく嗚咽し始めてしまった。 それを見た俺はおたおたとしながら、女の子に必死に弁解をする。 大吾「い、いや。だから……本当に妖しい者じゃないんだって! 別に君を脅迫しよう とか、押し倒してナニをしようとか、外国に売り飛ばそうとか、そういう事を企んでる 訳じゃ無いんだからさ」 女の子「い、いや…」 女の子は本格的に泣きそうだった。 この子、冗談が通じないよ… 大吾「今のは冗談だって。ね、本当だから信じてよ」 しかしその弁解も虚しく、女の子はふるふると頭を振るだけだった。 女の子「いや、いやぁ…」 大吾「だから!」 女の子(びくぅっ…) 大吾「あっ、ヤバっ……」 思わず張り上げた声に、女の子の嗚咽は泣き声に変わろうとした。 大吾「だから、違うんだよ」 声 「ゆうみ、この人は大丈夫よ」 女の子「!!」 大吾「え?」 不意に背後から聞き覚えのある声がして、俺は咄嗟に振り向いた。 そこにいたのは、俺にとって助け舟であり懐かしい顔だった。 大吾「あ、瑞樹さんっ」 女の子「お、お母ぁ…」 女の子は瑞樹さんの姿を確認すると、カウンターから飛び出して瑞樹さんに飛び ついた。 瑞樹「よしよし。大吾くん、お久しぶり」 大吾「お久しぶり…」 瑞樹さんは女の子の頭を撫でながら、俺に挨拶をした。 × × × 久しぶりに会う瑞樹さんと再会を果たした後、俺は目の前にいる女の子の事を 訊いた。 大吾「この子、瑞樹さんの娘?」 女の子「……」 瑞樹「ええ」 娘と言ったのは冗談だったのだが、瑞樹さんはにっこりと笑いながらうなずいた。 改めて女の子を見ると、俺と彼女とはそんなに歳は離れていない容姿である事に 気が付いた。 大吾「嘘でしょ」 瑞樹「嘘じゃないわよ」 大吾「でも瑞樹さんって、俺と5歳しか歳が離れて無いし、それに子供が生まれてて それもここまで大きくなってるなんて事知らされてないよ。 それにこの子と瑞樹さんって、ひと回りも年齢が離れてるとは思えないんだけど」 瑞樹(にこにこ…) 笑顔を絶やさない瑞樹さんを見て、俺の頬に冷や汗が流れた。 大吾「という事は、俺って既にアンクル……大吾おぢさんなのか?」 瑞樹「だから言ったでしょ」 大吾「という事はええっと…、10…いや、もっと下だな……って、もしかして、 瑞樹さんが小学生のときに生んだ子供ーっ?!!」 俺は指折り数えながら叫んだ。 女の子(びくっ…) その声に怯えた女の子は、隣にいる瑞樹さんにしがみついた。 瑞樹「ふふふっ」 それでもなお笑顔を絶やさない瑞樹さん。 俺はがっくりとうな垂れるしかなかった。 大吾「み、瑞樹さん……俺、瑞樹さんはそんな人では無いってずっと信じ……」 瑞樹「そんな訳無いじゃない」 大吾「でしょうね」 そもそも、瑞樹さんが結婚したのは今から6年前だ。 それよりも前は、瑞樹さんと俺はよく顔を合わせていたし、互いの事もよく知って いたのだ。 瑞樹「先生の弟さんの娘よ。名前はゆうみ」 先生とは、瑞樹さんの夫である浅野飛鳥さんの事である。 瑞樹「ちょっと訳ありでね、今は私が母親の代わりをしているのよ」 大吾「ゆうみちゃんね」 やっと状況の飲み込めた俺は、俺を見て怯えていた女の子をちらっと見やった。 ゆうみ「……」 ゆうみと呼ばれた女の子は、瑞樹さんがいる事もあるだろうが、俺が見ても怖がる 様子は無かった。 そんな彼女に、俺は笑顔で挨拶をしてみせる。 大吾「よろしく、ゆうみちゃん」 ゆうみ「……」 ゆうみちゃんはこくりとうなずくだけだった。 大吾(無口な子だな…) 瑞樹「それで、今日はどうしたの?」 大吾「あ、そうだった。えっと、俺、寮を追い出されちゃったんだよ」 瑞樹「寮? そういえば、大吾くんって大学生だったっけ」 大吾「そう。何でも夏休み中は寮の改装とかで、その間は他の場所で寝泊りしなくては ならないんだけど、俺はそれを知らされてなくてね。 本当なら他の寮に一時的に滞在したりするんだけど、その手続きをしなかったから、 今の所住む場所が無いんだよ」 瑞樹「それで、ウチに?」 大吾「まぁ、そういう事」 瑞樹「困った子ね」 大吾「あと。俺、今はビンボーなんで、あり合せの金も無いんだけど」 瑞樹「そうね…あっ、それならウチで働いてみない? ちょうど、アルバイトを募集 してた所なのよ」 大吾「瑞樹さんの店で?」 瑞樹「大吾くんなら、私も安心して仕事を任せられるわ。手伝ってくれるなら、宿泊代は タダで構わないわよ」 大吾「そういう事なら」 瑞樹「うん。決定ね」 大吾「ありがとう、瑞樹さん」 瑞樹「その代わり、仲良くね」 瑞樹さんはそう言いながら、ゆうみちゃんの方をちらりと見た。 大吾「もちろんだよ。な、ゆうみちゃん」 ゆうみ「……」 大吾「何とかなると思うんで…」 瑞樹「いえ、ゆうみだけじゃ無いのよ」 大吾「え?」
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